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たまには詩集を読もう(「野にある神様」「食卓一期一会」)
2009-08-21 Fri 15:50
2009年8月21日(金)

「今ではこんなになっちゃった私(笑)」にも、かつて夢見がち
なオトメだった頃はあったわけで、10代の少女の通過儀礼の
ように、詩を好んで読んだり、ヘタくそな詩を自分で書いてみ
たりという程度のことはしていた。

以前にご紹介した矢沢宰さんの詩集も愛読した1冊だったし、
学校の図書館で借りたり、自分で買ったりと、今にして思えば、
国内外のいろんな詩人の詩を結構読んでいた。
ランボー「十七歳! あなたは幸せでなければならない」
なんて一節を、16才の私は激しく肯定しつつ、自分のことを
思うと何ともやるせなかったし、病床にあった立原道造が、
見舞いの品は何がよいかと友人から尋ねられた時に、「五月
の風をゼリーにして持ってきてください」
とリクエストした…
なんてエピソードには、すっかり参ってしまって、立原道造に
殆ど恋をしそうな勢いだった。
(ちなみに大学に入学して間もない頃、ある文学好きな友人
 に、 「詩は立原道造が好き」と言ったら、「立原道造?…綺
 麗すぎるわねぇ」と、鼻で笑われるような反応をされ、ちょっと
 傷ついたりもしたのだった。笑)

大人になってからは、詩集を手にするということ自体、滅多
になくなってしまった。
仕事柄、詩を扱うこともあるので、時折、断片的に詩を目に
してはいるし、時には図書館で、何冊もの詩集を忙しく繰っ
て、仕事に使えそうな詩を探すこともある。
が、1冊の詩集をじっくりと味わって読むということは、長い
こと忘れていた。

が、最近、詩集を前後して2冊手に入れ、ゆっくり読んでみ
たところ、とても豊かな気持ちを味わえた。
「ああ、人間、時には“詩”を読む余裕を持たないといけない
なあ…」と、しみじみ思った次第である。


1冊目は、田代しゅうじの『野にある神様』。

野にある神様―田代しゅうじ詩集 (子ども 詩のポケット)野にある神様―田代しゅうじ詩集 (子ども 詩のポケット)
(2006/01)
田代 しゅうじ

商品詳細を見る


きっかけは、仕事で使う詩を探すために、近年の高校入試問
題集を繰っていた時のこと。
私は、入試問題によく使われる詩人というのはだいたい知り
つくしている(教材に使える詩人はもっと限られる…著作権
の許諾が厳しい詩人の作品は、版元さんが敬遠するからだ)。
だから「ああ、またこの詩人か、この詩か…」と思うことが多い
のだが、その時、初見で、なかなか良い詩があった。
それが、田代しゅうじさんの詩だった。

田代しゅうじ? …聞いたことない詩人だなあ。
長さの関係で、その詩をその時の仕事に使うのは難しかった
のだが、とても心ひかれたので、この人の詩集を読めば、ほ
かにもきっといい詩がありそうだ…と直感した。
で、趣味と実益を兼ねて、この詩集を注文したのである。
その時点で、著者に関する知識は全くなかった。

届いてすぐ、1ページ目から順に読み始め、まもなく
「あら、この人は鹿児島出身の人?」
…と、ちょっと奇遇な感じというか、親近感を持った。
ところどころ、鹿児島弁が出てくるのだ。

田代さんの詩は、平明で、心情描写があまりなくて、そういう
意味では「問題が作りにくい」詩ではあった。
が、遠い昔、幼い頃に鹿児島で体験、見聞きしたのであろう
情景(戦争中のことも含む)が、淡々と、ひたすら風景として
描かれていて、それがすごくいい。
私が知っている時代よりもだいぶ昔の風景だけど、それでも、
一部には既視感があるし、ああ、きっとこうだったのだろうと、
その情景、空気の感触までがよみがえるようだ。
私より年配の人が読めば、きっと懐かしさも感じるだろう。

ある時代に、ある場所に在った風景…今では消えてしまった風
景…を記録しておくことは、それだけでも貴重だと思える。
絵や写真もいいけれど、とにかく言葉で風景を切り取っておく
ことの意義を、すごく感じた。
書いておかなければ、どこにも残らない風景というのがある。
それは、若い世代にも、語り伝えたい風景でもある。
戦争を描いたものなどは、平和教材として小学校の国語教科書
とかに採用されても良さそうなものが多くて、この詩人(結構
年配らしいのに)が、今まで、さほど注目されていないのが不
思議に思えた。
(よし、今からでも、私が仕事に使ったり、ブログで紹介したり
 して、もっと世間に注目してもらうぞ!…なんて、気負ったこ
 とも、考えてしまった…笑)

さて、詩集を最後まで読んでから、奥付けの著者紹介に目を通
した。
1937年、鹿児島県は川内(せんだい)市内の生まれ。
…ああ、やっぱり鹿児島の人だ。
そして、最後に著者の現住所が書かれていて、驚愕した。
田代しゅうじさんは、現在、茨城県取手市に住んでおられるのだ。

おお、こんな身近な所に、詩人が、しかも鹿児島出身の詩人がい
たのか。
全然知らなかった。
純粋に詩に惹かれて詩集を手にしたら、鹿児島出身で、取手市
在住の詩人のものだった…それをたまたま、鹿児島にゆかりが
あって、取手に住んでいる私が手にしたという偶然が、何やら
運命じみて思える。

それにしても、取手図書館に、田代しゅうじさんの詩集を1冊も
置いてないなんて、ダメじゃん!
(取手図書館のサイトの蔵書検索で調べたら、「茨城の童話」の
 本の編集委員として田代さんの名前が出てきただけであった。
 取手に現住所があるだけでは「郷土の作家」扱いにもならない
 のだろうな…。 あ、そう言えば、取手図書館には、夫の本
 1冊もないんだよね…これはまあ、いいんだけど。笑)
田代しゅうじさんは、鹿児島では少しは知られているのかな?と
思ったけど、少なくとも、義父母たちは知らなかった。
(となると、田代さんの詩を宣伝する役割は、私に運命づけられ
 ているのでは?…と、ますます思ってしまった私…。 まずは、
 取手図書館に入れてもらおう。それから、鹿児島の義父母や実
 家の両親に、この本をプレゼントするのもよいな…。)


さて、2冊目の詩集は、長田弘食卓一期一会』。
[ 続きはここから… ]

食卓一期一会食卓一期一会
(1987/09/20)
長田 弘

商品詳細を見る


これは、noaさんのブログの

『 食卓一期一会 』(「とん ことり」の音がして)

の記事で紹介されていて、一部紹介されていた「ふろふきのたべ
かた」の詩がすっかり気に入って、すぐに購入を決め、アマゾンで
(ちょっと高かったので古書で)注文した。

長田(おさだ)弘さんの詩は、実は、入試問題でも教材でも非常に
ポピュラーなのだが、「食卓一期一会」の詩集から採ったものに
は、多分一度もお目にかかったことがなく、そもそも詩集名も知ら
なかったのは、あまり教材向きの詩が収められていないからかも
しれない。
でも、これは純粋に自分の楽しみのために読んでみたいと思った
のである。

これがまた良かった。
初版が1987年だから、もう20年以上も前の詩集だが、今読んでも、
新鮮で洒落ている。
料理を作ることは、確かに詩を作ることに似ている…と、この本を
読むと思う。
もちろん、長田弘さんの感性と言葉の使い方が素晴らしいからな
のだが、心をこめて料理をつくり、食べ、暮らしていくこと…そのこ
と自体が「詩」なのだと思えて、嬉しくなる1冊。
自分に娘がいたら、嫁ぐ時に持たせたい本かも。

感じ入る詩は幾つもあったが、ここでは、「ジャムをつくる」という
詩の一部をご紹介。

  イチゴのジャムでもいいし、
  黒すぐりのジャムでもいいな。
  ニンジンのジャムやリンゴのジャム、
  三色スミレのジャムなんかもいいな。


 (中略…いろいろなジャムの話が続いて、最後の連で)

  「わたし」というジャムもつくりたいな。
  楽しいことやいやなこと、ぜんぶを
  きれいなおろし金できれいにおろして
  そして、ハチミツですっかり煮つめて。



自分のジャムをつくる…という考えに、魅了された。
そして思った。
「ブログ」って、まさに“「わたし」というジャム”なのではな
いかと。
そう、ブログは、日々のエッセンスを封じ込めるジャムだ。

私だけじゃない、ほかの人たちのブログも、それぞれに個性的
な風味を持ったジャムだと言える。
喜びや悲しみを静かに煮つめるのは、多分女性の方が得意な
のか、特に女性のブログに、そういう傾向があるように思う。
(私が愛読しているブログが偏っているのかもしれないが、男
 性のブログは、どちらかと言うと、“自分のカラー”とか、
 “自分の暮らしをいとおしむ感覚”よりも、多分に社会的な
 話題そのものを重視していて、ビンに蓋をして保存するより
 も、蓋を開けっ放しにしてどんどん使い切っていく…という
 スタンスのものが多いように見受けられる。)

日々いろんな人のブログを読んで、その素材は日によって違う
けれども、素材の選び方も、煮つめ方も、各人各人の“らしさ”
があるなあと思う。
こってりしたジャム、ゆるゆるなジャム、透明感のあるジャム、
爽やかなジャム、洗練された香り高いジャム、日なたの匂いの
するナチュラルなジャム…、甘みを控えた、ちょっとスパイシー
なジャム。
(誰のブログがどれとは言わないでおくが。)

私のブログは…多分、雑味が多くて、アク取りも不十分で、ちょ
っとクドいジャムかもしれない。
素材も、リンゴジャムならリンゴだけにしておけば綺麗に仕上が
るのに、ああ、これも残ってたから入れちゃえ…って感じで、ミ
カンやバナナ?も入れちゃって、それも欲張って入れすぎちゃっ
て、結局何のジャムだかわからなくなる…という、というのが、
私のジャムの特徴であろう(笑)。
(ああ、私のジャムに似たブログの人もいるね…笑)

そんな私のジャムは、万人向きではないだろうが、世間は広いの
で、結構好んで読んでくれる人もいるのは、有難いことである。

「ミセス・かんちがい印のジャム」は、これからも、私らしく
ありたいものだ。
私の今のペースで行けば、ブログの容量が一杯になるのはまだ
まだ先の話だし、それまで続けられるのかどうかもわからないが、
もし、今のブログを容量一杯まで使い切ってしまったら、続きの
新ブログのタイトルは、「ミセス・かんちがいのジャム」にし
ようかな~なんて、思ったりもするのである。
 
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コメント
--
ブログ=「わたし」というジャム、という考え方、すてきですね~。(^^)

わたしの場合は、わたし自身がジャムじゃないような気がします。仕事のわたしと私生活のわたしって、全然違うんです。なので、たとえば、仕事関係の人と個人的に濃いおつきあいをすることは稀です。というわけで、わたし自身はジャムというより具がゴロゴロ入ってるカレーかな。職場では野菜だけの盛り付けでベジタリアン・カレーみたいに見えるのに、プライベートで盛り付けるときには実はシーフード・カレーだった、とか。
2009-08-22 Sat 09:34 | URL | Yさおり #tHX44QXM[ 内容変更]
-管理人のみ閲覧できます-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009-08-22 Sat 09:42 | | #[ 内容変更]
--
Yさおりさん
ジャムじゃなくて、カレー…。
なるほど、何となくわかるような。
「具がごろごろ入っているカレー」というのは、具をすりお
ろして均一なジャムにはできない、それぞれの具が他と
混じり合わない独立性を保っていて、具の取り合わせは、
局面によって異なる…という感じでしょうか。
お仕事の時のYさおりさんのことは存じませんが、そこに
やっぱり、Yさおりさんらしい“凛とした潔癖さ”もあるよう
な気がします。
ジャムのイメージでも、私は、Yさおりさんのブログには、
「真面目に自分を見つめる透明感」を感じるのですよ。

ご紹介のブログ、覗いてきました。
ステキなブログですね。
私が愛読している楽子さんのブログに似ている感じ…と
思ったら、リンク先に、楽子さんのブログもあって、思いが
けないつながりも感じました。 また時々覗いてみます。

ブログのお友達を通じて、新しいブログを知るのは楽しい
ですね。そこに、別のお友達とのつながりを見つければ、
なおさら。
YUKKEさんや、カネコさん(金子由紀子さん)のブログ
を愛読するようになったのも、もともとは、Yさおりさんの
ブログで紹介されていたからでしたっけ。
(どちらも大好きなブログなので、Yさおりさんには感謝!)

私自身は、コメント無精で本当に申し訳ないのですが、
…内弁慶なんでしょうね、ホームでは言いたいことが書
けても、アウェーだと、ちょっとひるむと言うか、億劫なの
ね…(^^;)、指輪の話とかも…そちらにコメントを残す勇
気はないのですが、Yさおりさんらしさを貫く選択なのだ
ろうと思うので、応援しています。
CarinaさんとYさおりさんのコメントのやりとりは、嬉しく
拝見しましたよ^^
矢沢永吉さん&糸井重里さんの“型”の話も面白かった~!

お互い、お気に入りのブログを通じて、交流を広げて行け
るといいですね(^_^)
2009-08-23 Sun 12:33 | URL | ミセス・かんちがい #bhhZubZs[ 内容変更]
-管理人のみ閲覧できます-
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012-03-17 Sat 15:54 | | #[ 内容変更]
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