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死に支度の話、へその緒の話(叔母の葬儀)
2009-04-01 Wed 23:32
2009年4月1日(水)

4月1日だが、本当の話。
普段の仕事に、月末と年度末の仕事、叔母の葬儀(通夜29日、
告別式30日)が重なって、ここのところ多忙だった。

亡くなったA子叔母は、父の妹である。
父は5人姉弟で、父が4番目、A子叔母は末っ子だったから、
一番若い叔母が最初に亡くなってしまった。
私にとっては、子供の頃から近しくしていて、一番好きな叔母
だった。

昨年12月に胆嚢管の末期ガン(周囲にも転移し、手の施しよう
がない)とわかり、医師からは、余命2、3カ月と宣告された。
病院にはしょっちゅうかかっていた叔母なので、それまでに発
見されなかったのが不思議な気がしたが、胆嚢管ガンというの
は、見つかりにくいガンだそうである。
享年74才というのは、今どきとしてはちょっと早いが、若すぎ
るというほどではないし、何より、叔母は幸福で充実した人生
を送ってきた。
身内一同、覚悟もできていたし、最後の闘病も、実の娘が毎日
病院に通ってできるだけのことをしたし、叔母自身もさほど苦
しまないで済んだので、そんなに湿っぽい葬儀にならなかった
のは、救いだった。

叔母は4年半前に一度、旅先の新潟で、くも膜下出血で倒れて
いる。
しかも、その時は直後に新潟県中越地震も重なって、病院が停
電したり、家族が駆けつけられなかったりという騒ぎだった。
くも膜下出血で亡くなった人を何人も知っている私は、その時、
叔母はもうダメだろうと思ったものである。
しかし、叔母はその後、後遺症もなく完全回復。
身内一同、彼女の強運に驚嘆したのだった。

「あの時に死んでいてもおかしくなかったんですから、この4年半
生きられたのは、おまけみたいなものでしたし…」
と、今回、従弟(叔母の長男)も言っていたが、そんな風に考えれ
ば、叔母は天命以上に、充分に生きたのかもしれない。


叔母は、お金はあまりなかったはずだが、世話好きで、フット
ワークが軽くて、ずば抜けた社交の才と、人脈力を持っている
人だった。
J党員として、選挙運動なども頑張っているらしいと聞き知って
はいたが、今回の葬儀で、叔母が、いろいろな組織に所属して
社会活動をし、たびたび表彰されていたことも知った。
葬儀委員長は、叔母と親しかった地元の衆議院議員、H氏。
通夜の弔問客は、500人くらいはいただろうか。
とにかく、普通の70代の主婦の葬式ではなかった。
告別式でも、喪主である叔父の挨拶の前に、3人の議員の挨
拶があったりして、その立派すぎる葬儀は、身内としては、
少し違和感を覚えるほどだった。

“優良 J 党員”として表彰されたこともある叔母(しかも代表と
して壇上で表彰されたらしい)だけに、こんな生花も上がって
いた。
 
[ 続きはここから… ]


へえ…と驚いたが、叔母はこういう世界が好きだったわけなの
だから、これで、あの世でも大いばりできるというものなのだ
ろう(笑)。

そんなわけで、概ね、納得のいく叔母の死だったのだけれど、
私にとって、一つだけ、腑に落ちないことがあった。
それは、A子叔母が、どうやら、死の覚悟ができていなかった
らしいことだ。

1月に、妹と一緒に、叔母を見舞った。
お見舞いのお金に添えて何を持っていこうか…と考えた時、自
分が叔母の立場なら、最後の日々の日記を綴る小さいノートが
欲しいかも、と思った。 あるいは、知人たちに最後の手紙を書
いておくのに、レターセットも悪くない。
しかし、日記用のノートやレターセットでは、いかにも「最後の
言葉を残しておきなさい」と言っているようで、露骨である。
叔母は、自分がガンだと知ってはいたけれど、絶望的な末期で
あることは知らないのだ。

結局私は、個包装してある小さな菓子と(叔母が食べられるか
どうかはわからなかったが、叔母のことだから、同室の人や見
舞い客に分けたりするだろう)、あとは、2冊の雑誌…1冊は
家事関係のムック本、もう1冊は「通販生活」(笑)…を、持って
行ったのだった。
退院後のことをあれこれ計画しながら読めるものであれば、少
しは希望を持ってくれるだろうと考えて選んだ。
年配の人は、目が疲れるから本は読まないという人も多いが、
叔母はどうだろうか?
でも雑誌なら、読まない場合は、人にあげればいいし…と思っ
ていたが、叔母は、白内障の手術をしてからは小さい字でもよ
く見えるのだと言って、喜んでいた。

私はこの見舞いの時、とにかく叔母をうんと笑わせてあげよう
と思っていて、それは計画以上に成功だった。
私と妹、そして幼なじみでもある従妹と、女3人でかしましく
馬鹿話で盛り上がり、叔母はずっと大笑いしていたのだ。
楽しそうな叔母を、私は時々横目で見ながら、こんな元気な姿
を見られるのは最後かもしれないけど、叔母の機嫌のよい時に
会うことができてよかった…と思ったのだった。
叔母の枕元には、大判で厚めの手帳があり、ボールペンが挟ま
れていた。 私がノートを贈ろうかと悩む必要など、全くなかっ
たな…と苦笑もしたのだった。

従妹の話では、叔母は退院できるものと信じきっているとのこ
とであった。
もちろん、良いことである。
しかし、そうは言っても、一応、万一の可能性も考えているだ
ろうと、私は思っていた。

自分が叔母の立場だったら…74才という年齢で、癌研に入った
ら…私なら、たとえ家族や医師が治ると言ってくれても、不安
を完全に消すことはできないだろう。
杞憂に終わるかもしれないけど、多分、遺書めいたものを書い
てみたり、自分の死後に夫が困らないよう、家の中のことをメ
モしておくとか、できる範囲内で、死に支度をするのではない
かと思う。
叔母だって、明るくふるまっているけれど、心のどこかでは覚
悟を決めているのだろう…そう思っていたのだ。

しかし、叔母は本当に、治ると完全に信じていたようなのだ。
少なくとも、数年の猶予はあると、踏んでいたのであろう。

叔母が、自分が助からないことを悟ったのは、死ぬ1日前だっ
たらしい。
治療の関係で病室を移ることになり、その病室が集中治療室
を利用する人の控え?の病室であったので、叔母は一瞬にして
事情を察したようなのだ。
そんな病室があることも、私などは知りもしないのだが、交友
が広く、沢山の人を見舞ったり見送ったりしてきた叔母のこと、
「あの部屋に入ったら、もう助からない」
というような、叔母なりの基準があったのだろう。
だからこそ、一般病室にいる自分は大丈夫だと安心していたの
かもしれない。

真実に気づいた時の叔母は、
「どうして言ってくれなかったの?
 やり残したことがいっぱいある、
 どうしよう、どうしよう…?」
と、かなり悔しがり、少しの間、パニックに陥ったらしい。
そしてその後、すっかり無口になり、酸素吸入器なども外して
いいと言ったりして、気力を失ってしまったという。

それを聞いて、気力を失ったのはまずいなあ…と思っていたら、
叔母はまもなく苦しみ始め(意識はあるのかないのか、半ば朦
朧としていたらしい)、半日後には亡くなってしまった。

最後まで気づかなかったのなら、それはそれでいいのだが、い
よいよ危なくなってから真実に気づいた時の、叔母の「しまっ
た」…という悔しさ、焦りが、私にはすごくわかるような気が
する。

自分が死ぬことが残念なのではない。
死ぬ準備ができなかったこと、それに気づかなかった自分が悔
しいのだ。(叔母は5月には旅行の予定もあったそうだし、手帳
にはきっと、退院後の予定ばかりが書かれていたのだろう。)
叔母のことだもの、余命いくばくもないとわかっていたら、手を
打っておきたいことは山ほどあったろうに。
書き残しておくべきことは、違うことだったろうに…。


希望を持たせるために、真実を告げなかった家族や医師に、
罪はない。
叔母は自分で気づくべきだった。
いや、気づかないまでも、多少の疑いは持って、一応の心の準
備をしておくべきではなかったか…と、私は思うのだ。

人間、やはり自分のことは見えにくいものなのだろうか?

 A子叔母よ、
 人一倍、頭の回転が早くて、察しの良いあなたにしては、ずい
 ぶん迂闊だったではないか?

…私は、そう思わずにいられない。
こんな風に思ってしまう私は、優しさに欠けるのだろうか?
しかし、叔母が最後に、短い間とは言え、悔しい思いをしたこ
とが、私にはひどく残念なのだ。
誰よりも、叔母自身のために、残念に思うのである。





   ****************

話は少し変わって、叔母の葬儀の時、に、叔母のへその緒
を入れた。
私の実家の両親が、最近、古い家の中の物を整理している時、
たまたま叔母のへその緒を見つけだしたそうで、棺に入れるた
め、斎場に持ってきたのだ。

納棺時に「へその緒」を入れるという風習は、初めて聞いた。
母によれば、「へその緒は、自分のお母さんとつながっていた
ものだから、これを持っていれば、あの世に行った時に、迷う
ことなく、すぐにお母さんに会える」という言い伝えがあるの
だと言う。
もちろん一部の地域のローカルな迷信なのだろうし、入れなく
てもいいという話ではあるが、なるほど、妙に筋が通った言い
習わしだ。
へその緒は小さいものだから、家にあってもそう邪魔になるも
のでもないが、いつかは捨てなければならないのだとしたら、
本人の棺の中に入れるというのは、処分のタイミングとしても
絶妙で、その知恵に感心してしまう。

しかし、これまでの葬儀の折に、母からその話を聞いたことは
なかったなあ…と、家に帰ってから思い返した。

私の実家では、今までに4回の…33年前に祖父の、31年前に下
の妹の、29年前には、実家で働いてくれていた身寄りのない従
業員さんの、13年前には祖母の…葬式を出している。
(父は4回も喪主を務めているわけで、それは、今の平和な時
 代には珍しいことではなかろうか?)
しかし、どの折にも、へその緒は棺に入れなかったと思う。

祖父や祖母や従業員さんの場合は、そもそも、へその緒の所在
がわからなかったのであろう。

では、妹の時は…。

妹のへその緒は、母が保管しているはずだが、普通と死ぬ順序
が違ってしまったわけで、母はまだ生きているから、妹がそれを
持ってあの世に行っても、母親に会える“よすが”とはならない。
そう思って、母は棺に入れなかったのだろう。
むしろ、母が死ぬ時に持って行った方が、あの世で娘にすぐに
会えるということになるのだろう。


 母が死んだ時には、母の柩には、母自身のへその緒と、妹の
 へその緒と、2つとも忘れずに入れてやらなくてはね。

…そんなことを思った私だった。
母はもちろんまだピンピンしているので、不謹慎な話ではある
のだが(笑)、自分のことだけでなく、身内については、そんな
“死に支度”を少しずつ考えておくことも大事なんじゃないかとも
思うのである。
  
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コメント
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麻生首相や小泉元首相からもお花が届いていたんですね!
家族はビックリしますね。
2009-05-20 Wed 19:07 | URL | 葬儀勉強中 #-[ 内容変更]
--
500人も弔問に参列したんですね。
そこまでの方はなかなかいませんよね。
2009-06-23 Tue 22:51 | URL | さいたま市 葬儀社 #-[ 内容変更]
--
へその緒の処理について、ネットで検索していました・・・
ブログを拝見させて頂き、誠に理に適ったご意見で、
参考になりました。 ありがとうございました。
2009-09-01 Tue 13:19 | URL | 藤本 #-[ 内容変更]
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