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我が「中学生日記」 (昭和45年当時の未来予想って…!)
2008-01-19 Sat 21:12
2008年1月19日(土)

中学1年の時、「日記を書く」という宿題があった。
担任は、30代前半の、田中先生という男の先生だった。
田中先生は国語の先生だったが、日記は、国語の宿題と
して出されていたわけではない。
いわば「交換ノート」と言うか、担任と生徒一人一人とが
コミュニケーションを図る為のものだった。
だから、無理に毎日書かなくてもいいし、書ける時は 1行
でもいいから書いて、出すことになっていた。

提出の曜日が決まっていたのか、いつ出しても良かったの
かを覚えていないのだが、とにかく 朝に提出すると、帰り
の時間には返してくれた。
空いている時間や昼休みなどを利用して、目を通して下さ
っていたのだろう。
読んだ証拠に、必ず1か所以上、返事を書き込んで下さっ
てあって、子供心に「熱心な先生だなあ」と感心していた。

その日記帳の行方など、どうなったかも覚えていなかった
のだが、しばらく前、実家で片づけ物をしていた妹から
「こんなもん、出てきたけど、とっとく?」
と、写メールが来た。
「1年B組」時代の懐かしい日記だ。



私が文章(童話なども含め)を趣味的に書くことを覚えた
のは、中2の終わりごろからで(文学好きな友人の影響)、
それまでは、文章を書くのは大嫌いだった。
作文など、他の問題と違って「正解」がわからないので、
何を書いていいのかわからず、いつも途方に暮れた。
そんな時期の日記だから、内容は、もともと期待していな
かっのたが、読み直してみて、想像以上のつまらなさ
がっかり。
…もう少し、気の利いたことが書けんのかい?
(自分の息子がこんな文章書いてたら、多分叱っていたと
 思う。息子らの文章の方がずっと面白いよ…。)

中学生の頃の自分と言ったら、もう少し賢い子だったよ
うに思っていたが(笑)、それは多分中学の終わりの頃の
記憶で、中1の自分は、びっくりするほど子供だった。



…ただ、あったこと、見たことを書いているだけ。
宿題だから義務的に書いている感じがありありだが、それ
にしても、何も考えてないのも バレバレ(笑)。
良く言えば、「牧歌的」だ。

日曜日の記述など、
「デパートに行って、○○を買って、楽しい一日だった」
か、
「デパートに行けずに留守番をして、つまらない日だった」
の、ほぼ 2パターン(笑)。
(「家族でデパートに行く」ことが手近な娯楽だった時代
 が、確かにあったんだよなあ…。)

それでも、3冊目(中1の終わり頃)には、少しは長い文章
を書けるようになっていて、幾分かの成長が見て取れる。
 
[ 続きはここから… ]



一応、少しは、ものを考えようとしている(笑)。


…というわけで、ネタにできるほどの面白い内容は特にな
かったのだが、当時の世相をうかがう上で、「へぇ~」と
思えた記述が1つだけあった。



…ほう。




「気温低下のため、昭和75年には、文明都市東京も
 滅亡する可能性がある」
と?

…気温「低下」なの?
いやはや、当時(昭和45年=1970年)は、こんな30年後の
予測がまかり通っていたのか…。
(「記事」というのは、新聞記事ではなくて、多分「中1コー
 ス」などの雑誌の、読み物記事だろうとは思うのだが…)

文明都市東京」という言い方自体も、何だか時代がかっ
ているが、

「もし氷河時代がおとずれれば、人々は殺し合いを
 はじめる」


という文脈も、随分乱暴だ(笑)。

まあ、記事の信憑性はともかく、そんな恐ろしい記事を読
んだのなら、少しは地球の将来とか、人類の未来について
考えれば良さそうなものなのに…



「私は、おそろしくなって、寝てしまった」

…という反応も、どうよ?(笑)



中1くらいというと、心身の成長の度合いも個人差が激し
い時期だが(私はオクテの方)、それぞれの成長に合わせ、
こんなしょもない日記に、根気よく大真面目に付き合って
下さった田中先生には、改めて感謝してしまう。

中2以降は、別の先生が担任になったので、私の「中学生
日記」はこれで終わる。
(個人的な「初恋日記」は、多分破棄したはず…笑)
ただ、国語はずっと田中先生に習ったので、3年の時には、
週に1つはノートに文章を書いて提出するという、国語の
課題があった。 そのノートにはもう少しまともなことが
書かれている(はず)と思うが、行方不明なので、そのうち
もし出てきたら検証してみよう。

田中先生は、教科書以外の独自の教材も作っておられたし、
毎朝の漢字テストもなさっていた。
中3時の、文章提出の課題も、全5クラスの生徒が対象で
は、目を通すだけでも大変だったはずだ。
私は出なかったけれど、早朝補習などもなさっていたし、
本当に、生徒の教育に全力を尽くしておられた。
退職されるまで、ずっと「現場の教師」で過ごされたのも、
田中先生らしいことであった。
 
…などと書くと、今は亡くなられたみたいだが(笑)、
先生はご健在。
今も年賀状のやりとりはしていて、相変わらず忙しそうな
筆跡で、コメントを下さるのである。
 
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コメント
-二酸化炭素で氷河期になる-
私が、小学校位(1970年代)には、二酸化炭素の増加で氷河期が訪れると言っていたのを覚えていますから、かんちがいさんの中学時代(まさに同じ頃)には、そういう記事だったんでしょうね。

当時、地球は間氷期で、これから氷河期が来るというのが、気象学者や地球科学者の「常識」でした。日本沈没やノストラダムスの大予言など、「破滅型」の予測が流行った時代です。

今、どこに行ったんでしょうか? などと言うことではなく、本当にその同じ人たちが地球環境問題に置いて温暖化を説いています。何の反省も訂正もなく。

それが、「予測」学者の正体です。彼らは、データの読み方が外れても何の反省もしません。恥ずかしいとも思わないのです。

それにしても、中学校の先生は素晴らしい方ですね。
私も、中学校の担任のおかげで今があると言っても過言ではないので、本当にそのころにどういう先生に出会うかで一生が変わるなあと思います。

でも、今の中学生に対して同じ事ができるかというと、多分難しいのでしょうね。生徒も牧歌的だったのは、先生にとっても「良い時代」だったのかもしれません。
2008-01-21 Mon 18:16 | URL | 若だんな #-[ 内容変更]
-人類の科学もまだまだだね…-
若だんなさん
だんだん思い出してきましたが、確かに、地球の未来は
「氷河時代」再到来、みたいなイメージでしたよねぇ…。
二酸化炭素が原因とされていたかは覚えてないんですが。

1970年と言ったら、人類はもう月にも着陸していて、
科学はすごく進んでいると思っていたのですが、わずか
30年後の予想もできなかったわけですよね。
今騒いでいる温暖化なんかも、どうなんでしょうね?

関係ない話ですが、確か、宮沢賢治は、何かの作品中の
登場人物に、「将来は炭酸ガスの影響で気温が上がる」と
いうようなことを言わせていました。
「温暖化」の言葉はなかったと思いますが、それを読んだ
時、宮沢賢治ってスゴイ!と思ったのを覚えています。

思春期のころに出会う先生の影響は大きいですね。
若だんなさんに、その先生のおかげで「今がある」と
言わしめるほどの素晴らしい先生の思い出話も、ぜひ
うかがってみたいものです^^
2008-01-24 Thu 23:52 | URL | ミセス・かんちがい #bhhZubZs[ 内容変更]
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