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「3・11地震」と私事(孫たち等被災)の顛末
2011-03-14 Mon 23:54
2011年3月14日(月)

ツイッターでもつぶやいた通り、53年間生きてきて、「安心する」
という言葉の意味を初めて知った気がする一日だったのである。
本日は電話もメールも沢山した。
そのうちのメール3通の内容を以下にコピペして、ブログ記事に
代えさせて頂く。
(内容に重複部分があるのは、ご容赦。)


●鹿児島の義父へのメール(PCで入力してケータイに送信)

朝、S太(わが次男=岩手出身のYちゃんと結婚、現在2児の父)
から電話が来ました。岩手の大船渡の親族、全員無事です。

実を言うと、最初にお父さんたちが心配した通り、Yちゃんと
孫2人が、ちょうどあちらに里帰り中でした。
岩手のお父さんがまだ赤ん坊の顔を一度も見ていなかったの
で、見せに行ったのです。
そこへ、あの地震と津波でした。
ずっと安否不明で、私たちも気が狂いそうなくらい心配で、今
まで、お父さんたちには、とても言えませんでした。
ごめんなさい。
私の両親には、妹から連絡が行ってしまったようで、母はテレビ
を見ては泣き通しだったようです。

誰よりもS太が可哀相でした。私たちも協力して、安否確認用
の災害伝言板などで、情報を求め続けていました。
T郎(三男)もよく協力してくれました。
大船渡のあたりは、比較的被害が軽くて、9割方は避難所にいる
だろうと思えましたが、子どもや年寄りを連れて、短時間で充分
高い場所に逃げきれたのか、家が古い木造なので、そもそも津波
の前に倒壊したのではないか?などの心配もありました。
避難所にいるにしても、きっとYちゃんのお乳が出ないだろう、
Aのミルクは足りているのか? 停電で真っ暗な中で、Kがおびえ
きっているだろう…と、心配の種は尽きませんでした。
昨夜は岩手県の安否相談ダイヤルというのが開設され、皆で手
分けして電話をかけ続けましたが、混み合って全然通じません。
S太は昨夜も寒い中、外の公衆電話に出かけて、(公衆電話の方
がつながりやすいし、自分の携帯はいつでも電話を受けられるよ
うに空けておくため)、深夜1時頃まで(本当は2時頃までだっ
たが少し控えめに書いた)
電話をかけ続けていたようです。

今朝、S太から、泣き声で「電話が来た! 全員無事」と、連絡が
来たのでした。
避難所は、大船渡の盛(さかり)小学校という所です。
大きな避難所で、有難いことに、皆さんに良くしてもらっていたそ
うです。
電車が動くようになったらすぐにでもS太が、Yちゃんと子どもを
迎えに行く予定ですが、まだ当分は無理でしょう。このメールを打
っている今も、取手で大きな余震を感じたほどです。停電で電車
も動きません。とにかく無事だったので、それだけで今は感謝して
いるところです。安心で涙がとまりません。
詳しいことや今後の見通しなど、またわかったら連絡します。

S太はあちこちへの連絡や仕事で忙しくしています。
私から事情を聞いたと、S太には、電話でなく、ねぎらいのメール
を送ってやって下さい。
 
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